11 脱:久保木教
「いつもわたしの隣に神様」ブログさんより。
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🐼 🍞だ 🐼
今回は、前回「10」よりも、もう少し信仰歴が長い仲間へのメッセージとなります。
(前回1万文字を超えましたので、なるべく短くし、時間泥棒にならないように気を付けます!。申し訳ありませんでした。)
久保木会長が統一教会への入信前後の流れで、周囲のやりとりを評価する向きが強かったのですが、実態はどうだったのでしょうか?。
(証し)日本の歴史を変えた40修! *久保木会長の感想文掲載* : いつも私のとなりに神さま【家庭連合会員のブログ】
■ 引用開始~
統一教会に通い始めて少したったころ、
…西川先生を庭野会長に紹介した後、
…西川先生は、
『…薮から棒で恐縮ですが、
…将来性のある若者を40日間、私に預けてください。
私のところで修行を積ませ、40日後に立派な青年にして、
会長先生の所にお返しいたします』。
…西川先生の申し出にも仰天しましたが、
庭野会長の答えはそれ以上に私を驚かせました。
会長は、しばらく考えていました。…
『それは面白い話だ。
では、早速人選をして、あなたの希望通り、
あなたに預けますから、よろしく』。
この一瞬は歴史的な瞬間でした。
日本における統一教会の基礎が、
この時点で形成されることになったと言っても
決して言い過ぎではありません。」
■ 引用終了。 」
このようなやりとりが有った事は、信者の皆さんは大なり小なり聞かれていたと思います。
この流れを聞いて皆、
「わー 凄い!。西川先生も 庭野日敬(にっけい)会長さんも、器が大きく、立派なんだなあ。」
「西川先生に見込まれた久保木修己氏も、若い時から立派な方だったんだろうな~。」
このように感じたものです。
ところが、、、
もう3ヵ月以上前になるので、たしかYah00ニュースだったと記憶が曖昧なのですが、とある宗教関連の分析機関が発表した処によると、
「新興宗教の絶滅危惧リストの筆頭にある団体が、立正佼成会。」
となっていましたので、驚いて調べてみると、確かに信者さんのブログだと信者数の減少と、今後の新規入信者数の 見込み薄の窮状が記してありました。
「これは どういう事なのか?。」
といぶかっていたら、ある日、1年弱読み続けていた とあるブログに答えがありました。それは、「中杉弘工学博士」の2つのブログの内、仏教解釈を中心に述べたブログの方でした。創価学会の本来の三代目会長になるべきだった?石田先生と言う法華経の解釈の大家が学会内におられたのですが、決局 学会の経済部門で、高利貸しヤクザ担当だった池田大作氏が朝鮮人貧困層の教生獲得に成功し第三代会長に就任したので、後に石田先生は組織から追い出される形になるのですが、その生前の石田先生に喰らいつき、一問一答で日蓮の哲学や 仏法の根幹を治めた人物が中杉弘氏だったのです。
その「中杉弘のブログ」の、とある記事の中で、
「立正佼成会も、戦前は神道の祝詞(のりと)を唱える団体であったが、戦争で敗戦した戦後には法華経を拝した。」
とのニュアンスの文章がありました。
↑ この認識は「個人的な勘違いかも」とウイキペディアで調べてみると、
1938年の教団発足時は、姓名判断と霊能鑑定による、目の前の苦境に寄り添う現世利益追求型の新興宗教の顔が見えました。
■ ウイキペディアより抜粋~
創立の1938年から1957年の長沼副会長死去までの20年間を『方便教化の時代』と呼んでいる。方便とは、まず現実の苦しみを救うことをいう。(「貧・病・争」への対策説法に主眼を置いた「個人」救済団体だった。)
この場合の「方便」とは、「致し方ないやり口」の意味では無く、法華経の最重要経典である‟方便本第二”から来る命名だと思われます。
↑
この部分に関しては、統一教会の信仰姿勢の真逆であったのです。
統一教会の場合は、
「現世の自己実現や 自分の事情 病苦・経済苦を全て忘れて、世界救済に走れ!」
ですが、立正佼成会の場合はもっと「母性」の強い 博愛宗教の側面が強く、現に長沼妙佼(ながぬまみょうこう)氏との双頭体制でのカウンセリングが活動の主体でした。
ここには、庭野会長にも、久保木修己氏双方に、将来への漠然たる不安がありました。
1⃣ 「気骨さ」の欠如。
元々霊能力があった双頭体制で出発し、1942年5月7日に「本部修養道場(現:発祥の地修養道場)落成・入仏式を挙行」とありますから、戦前は龍神様(兄エンキ)なども拝し~神仏習合状態で、「いいものなら なんでもあり」だったのだろうと思います。たしかに履歴を読めば、戦前も仏教崇拝の香りはさせていますが、明治政府以降は廃仏の流れで 純粋に仏教崇拝だけの「本尊」だと団体出発は厳しかったろうと思います。
そんな厳しい国家統制の中、霊眼にて敗戦色濃厚だと悟ったのか?、1942年に仏教に寄せた道場の立ち上げですから、一本気という意味ではイマイチで、功利主義、現世利益、現実主義だったのだろうと思います。
しかしながら、この素性が掴みにくい体質でも、庶民に寄せてはいるので、それなりに教生は獲得した時期もあるでしょうが、それは霊能力がある初代2名と、その後に「有能な第二~第三の次期会長:後継者候補がいれば・・・」の話で、久保木修己氏の様な直観力レベルではなく、もっと本当のお導きが出来る霊眼の持ち主が必要な教団だったのだろうと思います。
■ 「1945年11月15日~本尊「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」を尊牌形式で勧請」
とありますから、終戦とほぼ同時期に本尊指定なので、←これを普通に捉えるならば、創価学会の初代:牧口恒三郎会長(校長)が受けたのような国家弾圧を避けて、「日和見 体質」にて国家からの迫害を避けて、仏教崇拝への圧力が取れたら直ぐに本尊指定という、なんだか根無し草にも見えます。
まあ、判断は難しい処ですが、1942年は、敗色が強いので、余計ども仏閣にあった鐘を国家に上納させて、鉄砲の弾にしていた時期のはずですが・・・
まあおそらく、気骨だった戦前の牧口会長やら二代目:戸田城聖会長時代の創価学会からすると、「逃げてたな」「骨が無いな」と見られたはずなのでしょう。これはおそらく、天からもそうみられていたことではないでしょうか。竹内文書ですら、国家から何度も裁判で訴追されていた時代なのですから。
つまり、立正佼成会として教団のコンプレックスとして、目の前の庶民救済を優先するあまりに、当時の逆風の運勢・運気と戦っていない、剛伏魔王力をした経緯が無い、分かりやすくは➡「サタン分立を目指していない」事に成り、根本的な病気対策が出来ない「後ろめたさ」が心に巣食っていたはずの団体なのです。
2⃣ 教生の質。
久保木修己氏自身も リアカーを引いて 耳パン生活実践者で、「質実剛健」であったろうと思います。ところが、立正佼成会を構成する戦前からの若い信者さん達とは、戦前に於いては、「赤紙が来たのに健康状態で従軍出来ない」とか、「そもそも検査に受からないから、近所で売国奴と罵倒され」とか、健康不良状態な青年(他 各年代の病人ばかり 悩み多き信者層ばかり)の吹き溜まりであったようなのです。つまり、新興宗教に集う人間は、「社会の弱者集団」だとする世間からの認識に、現実がその通りで抗える実態がなかった事等、漠然とした将来への不安があったかと思います。
先の1⃣で述べた通り、サタン分立をしない(教団カウンセラーのみが修験道場で修練)ので、教団側の一方的な霊能力や徳積みでプレゼンしないといけない教団運営が義務付けられていた訳です。後継者には霊的プレッシャーが強いです。
では、「久保木氏は、立正佼成会時代に次期会長だと思われていた」と実しやか(まことしやか)に統一信者が語り合っていた久保木氏に、庭野会長・長沼氏のようなレベルの霊能説法が可能であったか?。生得的に、その霊媒体質をお持ちだったのか?ですね。そこは、はなはだ疑問です。
もしも 同等の能力がなければ、会長就任と同時に、教団運営で体質転換が必須となります。別のアプローチによる教団運営となりますが、ビジョンがあったかどうか。
3⃣ 空に向けて語りたい 久保木氏のキャラ。
久保木氏の大会での講演を聞けばお分かりのように、あの方は「天下:国家」を朗々と語りたいお方であって、病気対策で人生を費やしたい方ではなかったですね。正直、国会議員レベルでも引き込んでしまう説法の波動は、ある意味 集団催眠レベルで、理路整然とした講和は、西川先生や文教祖の比では無かったです。立正佼成会にあのままいたら、庭野会長 他、自他ともに認めるであろう「病人集め」運営に壁壁していたことでしょう。
4⃣ 「友愛」のルーツ。
この話は、私の個人的な推測になりますが、、、
鳩山由紀夫(元)総理が口を開けば「友愛・友愛」と総裁就任前から述べていたのですが、これを私は長らく「久保木説法に感化された、久保木教なんだな」と思っていました。実際そうだったかもしれませんが、「鳩山氏は久保木氏に心酔し、おおいに共鳴されてた」と言う話は勝共支部長から聞いていました。
さらに、CIAの工作資金で自由民主党が結党された際から 父親の鳩山一郎氏は党幹部であった事から、3年ぐらい前から鳩山家はてっきり「NWO 支配層側」と思ってきていたのですが、前回の「10」で書いた通り、2003年の衆議院選挙前だったか?「民主党」という器を 弟:邦夫氏と共に、兄弟による手弁当にて出資して結党したいきさつや、総理離任後にも北海道での地震に対しても「二酸化炭素注入方式の人工地震だった」と発言しており、その犯人として安倍総理?を匂わせ 疑っていた経緯を見ると、どうやら途中で鳩山由紀夫氏は崇拝対象を途中で変節している可能性が大きく、NWO側の自民党から離れ、対極の勢力を目指していたかのように見えるのです。
(まあ、鳩山民主党は、肝心の国際政治ビジョンが中国韓国寄りで全て出鱈目、官僚排除理論で政治運営が有名無力だったので、菅直人政権の311への対処不全で被害拡大等、早晩に民主党は信用を失いコケましたが。。。)
こんな事は認めたくない話ですが、
「友愛」というフレーズ自体が、フリーメイソンが対外的に「悪辣な団体では無い」事をアピールする為のイメージアップに「表の看板」として一丁目一番地に使用していた印籠で、久保木氏と鳩山氏がどの段階から使用し始めたのか注目しています。
今にしてみれば最悪だったのは、1962年に文鮮明教祖がKCIAに手引きされて渡米し、親分であるCIAの引導でロックフェラー本体と接見し、NWOのビジョンに共鳴し合っています。これで、悪魔側の勢力入りが決定しています。
これが、単なる同床異夢なのか?、or 同床同夢なのか?、ニュアンスが変わってくるのでとても重要なのですが、92年前後に風の便りで あのブッシュ大統領夫妻が「文鮮明方式の祝祷を受けた」と聞きましたので、文鮮明氏が世界の悪辣な支配層側の、かなり上位に位置していた事が判明しました。
こうなると、鳩山発言の「友愛」云々より、久保木氏自体の「友愛」発言の発祥「基」(もとい)が知りたい処ですが、こればかりは本人以外は知る由もありません。どんなに周囲の同期43双が推測しても、初代会長ですから、個人的に文教祖と何度も通じているはずだからです。もしも文教祖が黒ならば、多少なりとも久保木会長もクロでないと職務をまっとうできないはずなのです。
ところが、話は単純ではなく、ここで重要な視点は、文教祖の発言で・・・
「私は 久保木を会長から辞させるのに、20年かかったよ!。」
という発言です。
どなたの推挙か知りませんが、とにかく自分が認可したはずの初代会長を、後に全面否定とは、どういう了見でしょうか?。これには、いくつかの事実が議論の行方を収束させます。
↓
① 久保木氏は文教祖の血分け中(不倫の性行為)を目撃した事で、照れ隠しか?文教祖が朴正華氏の時と同様に「お前もやらんか?」と言われても、もちろん恐縮して辞退しているので、文教祖からすれば久保木氏を同罪に出来ず、面白くない 「真面目腐った奴」 という評価になった事でしょう。
② 初期の血分け教団としては、教義上 当然~久保木氏にも妻の上納を文教祖が蝕し(しょくし)し、久保木氏の妻を差し出す事を求めたのは事実ですが、この朝鮮式「お手付きにして、妻を夫へ再度:下賜する体制」を拒否した形となっており、久保木氏はこの儒教秩序を根本否定した形になっている。逆に、神山会長夫人は教祖と一週間共にしたと聞きます。文教祖からすると、当然 早く首(TOP)を挿げ替え(すげかえ)たかったでしょうね。
③ 西川氏の評判がいいと、功労者でも欧米に飛ばした文教祖だったし、久保木氏の評判がいいと文教祖は勝手にジェラシーを感じるのは70年代に始まった話では無く、原理講論執筆のソウル大学医学部の秀才:劉考元氏時代1954年~と変わらずでしょう。人間が急に変わる訳もありません。劉氏本人が医学の知識があるので、病状を鑑み「病院には送らないで」と懇願するも、文教祖が強引に病院送りにし、間接殺人で人気者を殺している因縁あり。(後に、自身が妻子に2012年9月3日にやられる 因縁果報と言う結びの話。)
④ 文教祖は不思議な方で、徹底して弟子の生活の面倒をみようとしない考えで、ある意味 霞(かすみ)を喰わせようとした科学性の無い話です。開拓伝道に出た功労のある韓国の36双72家庭~であろうが 後の430双世代であろうが、生活費を求める弟子に対し「泥棒」呼ばわりするのが常だった事が御言葉で残ってますもんね。
(教団名義の献金は自分の物、宗教家は自活すべきという理屈?)
(信仰者の方々は、その後に文家の親族を中心に企業の幹部に招聘し、「ちゃんと弟子達の面倒を見ておられた!」と主張するでしょうが、初期には人間の「素」が出てしまうのです。この苦難期における「素の言動」こそが本性で、これこそが「全てを語る」なのです。)
困り果てた韓国幹部達は、皆 来日しては松濤本部の「久保木詣で」をして、こずかいをせびっていました。すると、なんだかんだで予想以上の現金がデスクに積まれており、それをせしめる事に成功した彼らの噂は韓国に伝わり、理由をつけては 入れ替わり立ち代わり、「久保木詣で」による万物復帰を勝利?して行ったのです。この話を渋谷界隈の777と勝共三羽烏から異口同音に聞いたので、紛れもなく事実のようです。
果たして、この状況に度々遭遇していた久保木会長たるや、↑ これらの体験後にも まともな人間崇拝が出来たのでしょうか?。現に、久保木会長の御子息の男女3名?、一瞬だけ入信歴はあるようですが、誰も祝福を望まず、既成家庭にもなろうとせず、久保木氏の「会長」という職務は、心酔する奥様以外の家族にとっては単なる「父の職業」でしかなく、それを久保木氏も父として肌で感じないはずがなく、虚しい晩年であったようなのです。
早稲田原研OBの話によると、90年代半ばから高級小料理屋(割烹)にて、ちびりちびりやりながら、思う様にいかなかった人生を振り返っておられたのでしょうか?。そのせいで、渋谷界隈では、まことしやかに久保木会長の不倫説が出ていたようです。
久保木会長は80年代には、「霊界に行った後の夢は、ビール風呂!」と信者を和動会で笑わせておられたようですが、晩年には大枚はたいて高級割烹で「ちびりちびり」ならば、霊界での夢のはずを 既に地上で?果たす程、心が離れておられた事になります。
(もちろん、現職で会長職の時代にも、不倫の噂はあったようです。)
(私は ↑ この部分については、責める気にはなりません。自制しても、目の前で裸の女性がいれば勃起するのが男性の生理であり、そういう風に神に創造されていますから、神の創造を否定はしません。それも、崇拝していた教祖が目の前で不倫倒錯じゃあ、影響を受けない方が 逆にオカシイですから。)
私が何故 今回の「脱:久保木教」を書かせていただいているか?と言うと、信仰歴は最長で、現状この日本の組織には52年~56年選手がいらっしゃると思うのですが、それより少し下の世代777等の50年選手クラスから~1988年の祝福6500双の信仰歴38年前後クラスに於いて、絶大なるカリスマ性を誇ったのが久保木会長の弁説で、教会批判する私の母ですら拝聴の後に「迫力を感じた」と述べる程でした。
いかんせん、原研や地区学生部のアジトに於いて、
「久保木会長よりも凄い器の人物が2~3名いたらしいが、共産主義の赤化統一対策として、犠牲のとうげん条件をやろうとして滝行の最中に雷に打たれて、心臓発作で亡くなった」等、、、
こうなると、残された久保木会長の才能に依存する形で、日本の教団運営がなされないといけなかった構図の原点は、いかんせん日本の司法制度に於いて収監歴のある犯罪者の入国制限により、教祖が入国できないと言う、文教祖としても日本の教団運営に相当ジレンマがあったらしいのですが、米国での脱税はイルミナティが庇えない(かばえない)程のレベルだったので、収監されました。
しかしそれは、教団内で語られるような・・・
「僅かな金額なのに脱税の咎で、担当の会計係ではなく教祖自身が咎められ、宗教スケープゴートにされた?」とか、
「アジア系なので、差別され 排斥された」とか、
「キリスト教徒による反発で 迫害され」とか、
そういう理不尽にやり玉にされたかのような話では無く、ちゃんと教団に落ち度のある事への正当な裁きで、美談では無かったようです。
( ↑ これには、信仰者さん達から大いに反発があるでしょうが、昔 ようブログさんの記事で読みましたが、詳細は覚えていません。)
🌸 極めつけは・・・
まだ現役として会長職にあった80年代後半から、高知大学原研出身の広島県備三地区の勝共支部長のT氏が、再三 久保木会長に歴史観修正に竹内文書のコピーやら、日ュ同祖論の手紙を送ったのですが、芳しい反応が無く、もはや信仰生活に壁壁しておられた感触を地方にいても感じていました。改革の意志なし、夢持てず、限界の渦中にあったと思います。(朝鮮人教団の壁? 限界線?)
私もそれらの逸話を悔しそうに語られ、96年~2000年まで、何度も聞かされましたが。
でもまあ、私も竹内文書のコピーを5万円で買わなかった訳ですから、個人的に3度以上の使命失敗の内、このことも大きな敗因ですので、他人の事をどうこう言えない立場です。
先述した勝共本部の三羽烏の人は、教団系職務から離職する際に多額の退職金?慰労金?口封じ?を貰って、欧州から東欧まで幅広く旅行したらしいのですが、実態は、日本だろうが世界だろうが、命がけの地下活動する兄弟はいたはずなのですが、社会への影響力の意味に於いて呆れる程の非力な状態で、日本信者達は意気揚々と60年代~70年代の安保闘争期を理念勝利し、相当な額(米本氏による試算だと、霊感商法時に10年間で2兆円)を送金し、さぞかしや誇れる団体だと自負した信者だったはずなのですが、実際には本当に何も世の中と関係ない実情だった原因は、せっかくの献金も「生き金」にならず、韓国での株投資の失敗やら、教祖の先見性の名の元に、不動産投資で消費?浪費?され、それらは残された文ファミリーの年金にはなれど、世界を活かす美辞麗句の説法の割には、実態は程遠いものだったらしいのです。
尾道の1800双が、ハッピー丁稚奉公(でっちぼうこう)時代に、飛行機で中国パンダモータースの梶栗源太郎氏にアタッシュケースで5000万円ずつ脚でピストン送金をし(教団は中共の様な、地下銀行を持っていないから)、それらは中共から信頼獲得の為の先行投資と教祖に言いくるめられ、梶栗氏も広いオフィスに籠城状態で無意味な時間を過ごした訳ですが、別に中国のどこにも取り入る事が出来た経緯は確認出来ませんでしたので、完全なる数百億円の「死に金」でした。
その後、末端の信者達には美談として、当時の投資実績として、「この信頼度獲得によって、北朝鮮金日成とのピョンヤン抱擁が成立した」と美化して伝えられましたが、その直前には、現代グループの会長が牛500頭の現世利益をトラック運送して、北から歓待を受けていました。文教祖の不満は、「お土産」(現金と仕事)を北へ持って行けず、自称メシアとして「神の面子が立たない」と不満顔でした。
これを聞いて、頑張った人達程、
あるいは 摂理勝利に期待していた人程、
「あーあ、、、」のガッカリ感でした。
🌻 IF もしも・・・ ですが、
1990年前後当時に久保木会長が「竹内文書」という神の歴史観を受け入れていたら、まだ現役会長職でしたから、何らかのアクションが執れたはずです。それこそが、日頃の文教祖の行動パターンとしても、本願成就となるはずでした。
文教祖という方は、例えば・・・
(あー やばい、もう8000文字超えや~、また前回同様に 一万文字超えそうやー!)
「原理講論で間違いの部分がたくさんあるが、敢えてそのままにしている。弟子が間違っても、サタンに讒訴させない為の。」
とか、そういう高尚な意味で実際には述べているのではなく、文教祖自身が「流行りもの好き」で上昇志向が強いからこそ、日本にも留学したし、愛国運動にも身を投じていて、それを誇っていたのです。
(~対:韓国信者用の武勇伝に愛国活動歴を自慢していた。)
(文教祖流の、「メシアシップ」の誇示であったのでしょう。)
つまり、文教祖は耐えずレーダーを張っていて、時代の動静に敏感 且つ、イイものをどん欲に折衷(せっちゅう)しようとするマインドが強いからこそ、その「含み幅」を持たせる意味で、教典をも「未完成扱い」にして置いて、余白を開けていたのです。
自身による 李龍道・金百文理論をまとめた原理原本が、西洋のクリスチャン達を感化して束ねるにはアカデニズムに欠けるレベルなのに、そこを圧倒的に凌駕した劉孝元氏に脅威を感じた意味合いもあったかもしれませんが、全てに於いて逃げ道を造るのが上手い人でもありました。
自身の死後にまでも 教義に普遍性を与えれる様に、敢えて「昼の神様・夜の神様」やらの概念で難解風を演出してあり、原理講論の冒頭の総序中にある「科学性」からは逸脱する内容も無視してあり、布教活動が上手く行かなくても自身の「血分けイメージダウン」のせいにさせない為に、「心情の8段階」なる儒教式差別化の階層概念を持ち込み、計りようが無い「心情の深さ」という不確定要素にて、自己を優位に脚色し、逆に 失敗した摂理の理由をいつでも信者サイドに責任を丸投げ出来る構造にしてあります。
「あなたの侍り方が足りないからだ」とか、責任転嫁が多い発言に関しては、これはもう民族性で、朝鮮人全員に見られる傾向ですから、それをどうこう揶揄しても始まりませんね。信じたこちらが、心の中だけで善処しましょう。
しかしながら、
一旦信じた教祖が仮にふがいなかったとしても、そんな事は たいして問題ではないのです。
弟子が優秀で、それを補って余りある成果を出して、むしろ あの世の教祖ファミリーを救い出せばいい話ですから。
今ならもれなく、日本人救世主が8000人の祈りの基台を求めていて、数日前にやっと5300名のfacebook登録者でした。残り1700名の中に、人生を総括し、贖罪すべき食口経験者全てが名乗り出て、世界に迷惑をかけてきた過去の罪を清算すべく(←その活動の罪については、次回以降にまた記す予定)そういう祈りの渦にて「銀河委員会」が動き、「宇宙人権法」の人権法部分を無視して 超法規的に 地球人に悪さをしてきていた四次元以上の異界の生命体を検挙する事が出来る様に、銀河警察の活動援助の為に 祈りで参与されたらいいのです。
「本物」とは、金をかけずとも、効果が絶大なはずなのです。
今までの投入分が大き過ぎて、こんな当たり前の発想を 我々は脱ぎ捨ててしまっていましたよねえ。。。
この際に、反省・・・
次回は・・・
信仰歴56年級以上の 最古参の信者層:同志様に対してのメッセージの予定ですが、どうなることやら。。。反発受けるは 必至でしょうね。
疲れたので、文章の推敲は また後程に。
あ、、、昨日の推敲も、まだですが。(笑)
🍞だ 🐼 🍞だ
(ここまで10111文字。またまた 長くてすいません。)