16 うらめしあ

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「原理講論」と言う統一教会の中期教典の冒頭部分に「総序」と呼ばれるくだりがあるのですが、それは 読み手に人生の生き方を問い 「我田引水」的に視点を誘導する洗脳の第一歩となっており、問題提起の形を取っています。

 

その中で「被造世界を調べる事で、神が判る・・・ 云々~」というニュアンスの表現があります。

この姿勢・視点に共感出来た者だけが、積極的に洗脳されに行った結果が、現在までの我々統一教会の経験者達なのです。

 

で、

 

■ その後の展開は、最後の604頁まで総序の後は・・・

A 神の存在様相に始まり~

B 「堕落が有ったんだ」と悪書「聖書」を引用して曲解を強制し~

C 「堕落の消し方」を朗々と説明し~

D トドメが「救世主に依って救われる」で「あんたはどうする?」 

  で入信を納得させます。

 

しかしながら、この「被造世界」に対する捉え方は千差万別だと思うのですが、これを書いている「私」(筆者)の場合は、どう捉えていたのでしょうか?。

 

それは、私の場合は「被造世界とは?」で、自然環境や動植物には感性は向かわず、人間の所作に関心が向かいました。

 

つまり、私の場合は「被造世界=人間の様相を通じて、神を推し量ろう」とする色合いが強かったです。なんでそうなったかを語り出すと、自分自身の事情を出すと暗くなってしまうので割愛しますが、「私には こうにしか思えない」との、物心ついた時からの人間観がありました。それは・・・

 

「人間は、死ねないから生きているだけ」

 

という染みついた発想です。子供の時からの認識ですね。

非常に後ろ向きで、刹那的です。

 

小学生だと、通学路を通う班は決められているので逃げれられないのですが、同じ道を通う子の中で、今で言う処の「精神薄弱児」、昔で言う処の「知恵遅れの子」がいましたが、そういう状況だとそういう子は 残酷な子供時代の事だから虐めにも遭うし、授業時間も座っているのが苦痛だろうし、何をやっても周囲よりも後手後手となり、オロオロしながら生活している様がありありで、

 

さらにその子は両親に捨てられ、おばあさんの元で暮らす環境で、参観日にも 目が見え辛そうなおばさんがヨロヨロしながら学校へ、周囲はヒソヒソ・・・ 果たして、本人はそういう境遇が楽しかったでしょうか?、そして 今も生きてて楽しいでしょうか?。

 

もしこれが、田舎の廃校寸前の話ならば、天然で手の余った教師より個別学習も可能だろうし 濃厚なケアが受けられますが、さらには例え生徒数がクラスに20名程度に増えても、先生側も理解が遅れる児童へもまだ対応が可能でしょう。

 

ところが、これが向島中央小学校みたいなマンモス校の上に、その学年自体が 江戸時代に火事を起こした魔女の生まれた「丙午」(ひのえうま)を皆嫌がり、その次の年で生徒数が集中し、1クラス37人が5クラスもあり全校生徒1000人超えだと、個別の対応は先生では難しく、優しくて優秀な生徒が選ばれて、最前列に隣合わせで座らせられて、授業途中にも逐一面倒を見ていました。

 

しかしながら、ここで話が終わらず、その面倒を見ていた側の生徒も、実は・・・小学校卒業と共に、両親の離婚を受けて愛知県の親戚に貰い子として引っ越さなければならなかったようで、人生とは理不尽そのもの。中学入学の混乱で私もその子の境遇に当分気づけませんでしたが、周囲の親御さんも「貰い涙」の別離であったようです。その子の兄と妹は 今まで通り親元生活なのに、真ん中のその子だけが愛知県に・・・、もう気の毒で気の毒で。。。

 

人の世話をし、精神薄弱の子へ 周囲からの虐めの防波堤となり、先生代わりに学力補償もし、体育だろうが遠足だろうが、弁当のパートナーがいなければ相手となり、しかも!私生活では親より差別待遇で冷遇されてたみたいで、身体も小さく、でも表面上は健気で気丈夫な感じで・・・当時は、境遇までは気づいてあげれなかったなあ・・・

 

当時、私はいつも そのかいがいしい光景が気がかりで、

「は~、、、 なんだかな~・・・」

といつも 滅入るような感覚で教室前方を見ていました。

眼に入って来るんですもん。

 

自分自身の病状もあるので、あまり関与出来ませんでしたが、周囲に苦痛を与えるその子自身も如何ともならん自分の能力加減に「辛かろうな」と同情し。

 

でも一方では、冷静に見て「給食の食べ方汚いな~」とか「見ていると こちらが吐きそうだな」とかあって、近づくに近づけず みたいな。

 

まあ、田舎の事です。

彼女は、まだ最下層では無かったのです。

 

本当に最下層の子は、風呂に入っておらず、悪臭を漂わせながら、照れ笑いを隠しながら、1週間に2~3回だけ登校して来てました。いつも裸足でぴょんぴょん系で、黒いはずの制服が白っぽくなってて、髪の毛が嵐山勘十郎で、なぜか天然の超茶髪で、、、今頃、どうしておられるか?。辛いのう

 

いやいや、日本だから食えた。人生のボトムラインは、もっともっと過酷で、生きるか死ぬかのレベルの子も世界には多い事でしょう。

 

人間とは、

「ん?、どうやら私は生まれたみたいだけど、死ねないから 仕方なく生きている」

 ↑

こうにしか、世界を見渡してみても、私の眼にはそうにしか見えなかった。

 

私自身、片道15分の登下校の道を、一人 遅刻しないように早めに出て、1時間かけて登校する症状で(帰りは多少マシ)、他人を構う余裕はないけれど、感覚だけは鋭利になるので、他人の心の機微にだけ やたらと敏感になり、神経が口から出るような日々を送っていました。

 

近所や神社からの村八分やら、全親戚と切れてた状況や、被差別部落の子から毎日壁ドン虐めとか、あげれば切りが無く・・・ 全日本 我慢大会人生で

 

 

冒頭の、

 

Q:被造世界から 神を割り出すと?

 

A:神は、死ねないから、生きている

 

こうにしか思えませんし、今もそうです。

寂しく見えますか?。偏った人格ですか?。

 

まあ、こう思うのは少数派かもしれませんが、貧困率が4割を超えたとされる昨今の小学生からすれば、私の感覚に共感して貰えるかもしれませんけどね。

 

どういう発生経緯で神が生じたか知りませんが、有って有る者はいいですけれど、逆を返せば、神自身は自己の存在理由をご存知なのか?、はたまた 神の生きる意味は何なのか? ちゃんと自身で把握されておられるのか?、それとも 死ねないから生きておられるだけなのか?、逆に 自問自答に疲れて 諦めて有意義に過ごす事に徹しておられるだけなのか? 日々求める処です。

 

このように考える事~・・・ 既に半世紀弱、ついに去年の春過ぎ辺りから、私の人生の目的は 神を殺す事になりました。奇跡の印で教団に導かれようと、奇跡の声があろうとも、そんなものは屁です。世の打開策が見えないのに、心の平穏などあろうはずがないですから。

 

まだその筋では?私は初心者でしょうから、やり方も何も分かっていませんが、探り探りで ボツボツ考えを深めています。

 

🌻 こんな考えを理解出来ない方が ほとんどだろうとは思いますが、

 

しかし、周囲に多くの自殺者、自殺志願者(suicide solusion)、未遂、ためらい傷、同伴未遂、逆に 追い詰めた側も然り、皆さんのお近くにも いろんな自己卑下候補者が数多くおれらる事だろうと思います。

 

「神が悲しむから、やらないで!」

ではなく、あなたの浅い声など、響いて来ず、

「神が そもそも生きたい方なのか?」 ← 確認はされましたか?。

 

自殺を実行する前には、おそらくぅ?ですが、、、踏み留まった場合と or 実行した場合の将来予測の線引きとして、「未練はもう無いか?」自身の心深くに問いかける事が最重要項目になるのではないでしょうか?。

 

人間、本当に崖っぷちに立たされた場合、なんだかホワ~ンと 生かされている境地に到達し嗚咽される背景的に恵まれた方もおられれば、笑いながら ためらう事も無く逝ける方もおられ、そこで素の自分を再確認出来ます。その最終確認を、今の神にも向けてみたらいいのです。

 

「あなたは、どういう了見で、自存されてますか?」

 

もしも私が肉体のリセット(寿命拒絶)を超越出来る段階を確立できた場合、それは半永久の肉体寿命ゲットで、それを土台に➡何千年もかけて凄い叡智に辿り着くかもしれません。今は三次元に縛られる私ですが、あらゆる手段を講じて12次元の神を殺して差し上げ、13次元の白紙に宇宙を戻す事が可能かもしれません。そしていざ、その段階の技術に到達して、神に最終確認をした場合、、、

 

「あなたは、そもそも 生きたかった方ですか?」

 

そう聞く事でしょう。存在すら 最初から果たして存在したかったのか?、意識があったから生きるしかなかったのか?、死ねないのが分かったから消極的に幸福を求め よりベターな宇宙秩序を求め、自身では幕引きが出来ない状況なのか?、誰かのきっかけを待っているのか?

 

手首を切るのは怖いけれど、練炭で意識が遠退くのなら実行できるのか?、誰かを愛してから自分の存在確認を終わらせてから死にたいのか?、本当は自暴自棄なのだけど死ねないから惰性で流れているだけなのか?

 

天よ!

あなたの声を聞いた以上、

もはやあなたは 単なる法則 エネルギー体とは、言わせませんよ!?。

 

私は、私の肉体の自存技術の誕生を待ちます。いい技術の開発で2000年間ぐらい経過出来たら、何かいい殺し方が見つかるかな?と。今までの人間は たった100年サイクルで死んでしまうから、科学が追い付かず、自分の見識も輪廻で毎回チャラ、せっかくの叡智もまた生まれ変わりで蓄積ゼロへと寸断される訳でしょう?。それならば、まずは神殺しの技術?の覚醒を期待して、肉体の命を延命させる事を考えるべきですからね。

 

アメリカやカナダは、クローンで培養した成人サイズの自分:BODYに、魂の記憶を入れ込む技術のアプローチですね。中国の場合はもっと唯物的で、クローンだけどその後はそのまんま ICチップ風に思考や記憶を物理移植をしたいようですが。

 

長寿遺伝子のテロメアを長くに延長させるとか、短くさせない技術革新とか、再生させるとか、そういうのもいいですが、まずはパーツの蘇生にて小保方さんのSTAP細胞が安くて有望だったのに、闇の勢力により検証実験そのものが潰され、逆にコストがかかり実現が難しい山中博士のIPS細胞の方がノーベル賞で奨励されてしまいました。これは、高度な隠ぺい工作ですね。新しいパターンです。早稲田の小保方さんが、今もケーキ屋さんでアルバイトで、faxebook上での支援を受けれるかどうか?レベルに甘んじておられます。

 

自分を愛せた人は、周囲から「お前の肉体だと、脚短いやんか?。コンプレックスやろ?」と言われようが、本人の思い入れが強いのであれば、その肉体のまま、その意識のまま時間をかけて望む道で成功するからこそ、本人納得の価値があるのであるけれど、多くの 大多数の自己嫌悪の人達ならば、それらがめいめいに自殺を決意するのも大変でしょうから 自殺ほう助の保険適応で 薬物でサッサと次の転生へ移行できるように、新たなガイドラインが創られるべきなので。

 

こういう倫理の問題は、究極的には 神の自己への満足度に依る訳で、神は 今の存在をベースに今後も永世されたいという最低限は満足されてる方なのか?、それとも 手段さえあれば葬られたいお方なのか?、人間の個人個人の問題を正す以上に、先ずはもっと根源的に 創造者への意志確認が必要な作業なのです。

 

因みにぃ(ちなみに)、ですが、

日本人救世主の方も訓示されておられましたが、

一神教:聖書の神?ヤハウエとは、

「神々の内の一人に過ぎない」と断言されておられました。

 

( ↑ つまり、異星人アヌンナキ達のような、単なる異界からの神々、支配者に過ぎないので、聖書への心酔は自己の幸福に何も齎しませんからね!。)

 

さらに、日本の天照大神とて、古代の神々しい生き様だった上流階級の人間の集合体(愛国心バロメーター)らしいですよ。一人の男でもなく、されとて今までに洗脳されてきたような「女神」とは、さらに違っており。アマテラスを女神と書き換えた世代とは、33代:持統天皇を初の女性天皇に推挙したい一族による、26代:継体天皇以降の朝鮮との商人系の武士家系なので、本物の皇統か はなはだ怪しいのです。

 

※)

日本の皇統史の謎を紐解くには、この持統天皇の補佐をした聖徳太子の秘密の解明が重要なのです。

 

私がテーマにしている神とは、普通の統一教会信者さんが思っている あの 宇宙の唯一神であり、本当の創造者であり、これ以上もう無理!~という処まで突き詰めた最高の根源神の事です。神々ではありません。

 

❖ 表のメシア様は、納得されやすい、望まれた人類救済を論じればいいし、

◆ うらめしあ~ 怨めしあ~♪ の場合は(裏メシア)、別のアプローチで、神の真意を最終確認する存在価値があるだろうし

 

不遇だった過去の「魂」達を、怨みがあろうと無かろうと

引き上げるべきなのか?、or  消滅に導くべきなのか?

神の満足の形を確認しないと、本人が浮かばれない事になるからです。

 

神の満足の焦点次第では、

スイスの自殺ほう助メディカルサービスを、日本でもやるべきと言う話になるし、

 

意外にも 神自身は自虐的な可能性すら残っており、

「自分がいない方が、私のような執着心の強い理想追求型で被造世界を縛るのではなく、もっと人類を おおらかに 解放的に 操る{別神}が台頭できるはずなんだよなあ・・・私って、正直 邪魔よね」

なのか?、ヨギを通じて確認したい処ですが。

 

(まあとにかく、今までの人類歴史で、余りにも惨たらしい人間の死を 神は無視され過ぎです。如何なる理想追及だったのでしょうか?。どういう事情で?。堕落も原罪も無いのだから、「責任分担論」が通用しませんけど?。)

 

ただ単に、恵まれた人達が上から目線で・・・

「自殺すると ロープをかけた木に縛られたままになって、苦痛が続くよ?」 

という様な、消極的な愛や 止め方ではなくて、さらには

 

「神が悲しむから」

というような一義的なエモーショナルなものでもなく、もっと哲学のレベルで先鋭的な問題解決の手法として、「むしろ 神へ カウンセリングが必要なレベルなのか?」等、見極めてみるべし。

 

「創造神の 創造神同士による人間関係に於いて、何か問題でも?」

 

と、神に胸襟を開いてただくアプローチが必要ですね。

神は本当に 孤独な状況だったのか?。

孤独なあなたが、一方的に騙しの戦法に乗っただけなのか?。

「私が孤独と言う事は、きっと神も孤独に違いない」とか

「孤独な神よ~、私も同じでっせ~、同類相哀れみましょー」

 

 

 

「・・・」

 

 

 

 

 

 

判り易く言えば、文鮮明氏の求道姿勢であった16歳以降~の、

「神よ!、あなたは悲しみの神でしょう?」

と天に突き上げるような探求心で、あのレベルで?激しく 本質的に 親をおもんぱかり、一方では人類にもあるべき存在価値を示す人物がさらにいないと、神が自己中心から抜けれない可能性があるのです。

 

神が 自分の理想の為に、人類が今まで通り➡死に放題でも、黙って観ておれる、そういう「精神異常な神なのですか?」と ← 誰かが確認すべきですね。

 

皆さんは確認もせずに、

「そうあって欲しい」と言う願望だけで、

「祈ると 涙が出たもん! 神が答えたもん!」とか、

「独りよがり」ではなかったですか?

 

 

 

ここまで 6352文字

翌6月16日㈫ 微修正で6376文字に

 

 

 

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